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姉妹花

1
 ゆかりたちの母はすでに亡い。父はというと、遠くの戦場へ行っている。彼からの連絡はいつからか来なくなり、消息はおろか、生死すら不明だ。今頃はもう骨も残ってないのではないだろうか、ゆかりはそう想像している。
 終戦も近いある夏の日のこと、家の中よりも外のほうが涼しいことに気づき、ゆかりは枯れかけた大木に寄りかかりながら、本を読んでいた。すると、みかがどこからともなく走り来、庭の片隅に座りこんだ。ゆかりは本から目を上げ、そのまま石像のように一寸たりと動かないでいる妹を見て微笑んだ。
「そんなにすぐは出てこないわよ」
「わかってる!」
 むきになってこたえ、それから急に振り向き、不安そうに
「死んじゃったのかな?」
 そして姉の笑顔を見て安心したのか、
「明日は出てくるよね、きっと」
 ゆかりはそんなみかの一人芝居を眺め、さらに笑みを広げるのであった。
 みかがそこへ小さい種を植えたのは、2、3日前のことである。近くに住む友達と、青いおはじきと交換したのだ。なんでも、隣のおばさんの家のようにいろいろな花を咲かせたいらしい。はじめはくだらないと思っていたゆかりだったが、今では妹よりもむしろ彼女のほうが発芽を待ち焦がれていたりするのである。

2
 その日の夜、さゆりはサイレンの音で目を覚ました。またか、と息の下で毒づき、隣で耳をふさいでいる妹の目を見つめて―彼女も度重なる警報で眠りが浅いらしい―小さくうなずくと、地下の防空壕へと向かった。
 せまく居心地の悪い洞穴の中、妹の体重が肩にかかるのを感じながら、ゆかりはサイレンの音を聞いている。今日は何人が家をなくして、何人が死ぬのかしら。焼けただれた死体や千切れた肉片を想像し、一人身震いをする。
 それから妹の閉じた眼を見つめた。はやくサイレンが止めばいいんだけど。遠くから爆音、そしてかすかに悲鳴のようなものが聞こえた。
 夢の中では、みかは大きな赤い花の上に住んでいた。そこでは争いも、爆弾も、飛行機も、忌まわしいサイレンの音もない。ただ日に照らされ、風に揺れる日々があるだけ。彼女はそこで甘い朝露を飲みながら、姉と二人で生活していた。どこからとなくやさしい香りが漂って来、みかはそれを胸いっぱいに吸った。場違いなほどに明るいみかの夢の世界を、ゆかりはもちろん知る由もない。

3
 毎日のようにみかは青い芽は出ていないかと庭を見に行き、毎日のように肩を落とし、あしたこそ、と呟いた。『芽が出る歌』という自作の歌を怪しげな踊りとともに熱唱したりもした。
 ゆかりもまた、ひそかに種が気になって仕方がなかった。庭の黒い土を確かめに行った回数は、みかのそれをも越すほどだったかもしれない。しかし、そんな二人の思いをよそに、芽はちらりとも顔をのぞかせようとしなかった。
4

 あれから一週間ほどたったある日。みかは友人たち―そのなかにはあの種をくれた子もいた―と公園へ向かっている。ゆかりも、仲の良い友人の家へ行っている。
 借りていた本を返すと、ゆかりは早速感想を尋ねられた。
「うーん、なんていうのかな、雲みたいな小説ね。どっかふわふわ浮いてる感じがする」
「雲ね、いいたとえかも。文体もきれいでしょ?」
「うん。たとえば、ここの…」
 二人が長い会話を終え、ゆかりが新しい本を借りて帰路に就いたのはすでに昼近くだった。もうそろそろみかが帰ってくる頃だ。急がなくちゃ、と呟き、ゆかりは足を速めた。
 ふと上を見ると、大きな黒い雲が浮いている。
「一降り来そうね」

5
 さて、その頃みかは友人たちと鬼ごっこをしていた。今、彼女は鬼である友人から逃げている。今まで、彼女の頭の中では、鬼ごっこの鬼は決まって赤だった。だが、今日は違う。今、自分を追っているのは黒鬼だ、夜のように真黒な鬼だ。それは  空の黒い雲からの連想か、それともじっと見つめていた黒い土の影響か。とにかく、自分は黒鬼から逃げているのだと強く思った。
 色。そういえば、あの種は大きくなったら何色の花を咲かせるのだろう?青色?黄色?それとも赤色?
 突然背中を強く押された。
『タッチ!』
 そうだ、きっと赤だ。血みたいに真っ赤な花が咲くのだ。

6
 ゆかりは笑っていた。まったく、踊りだしそうであった。それは小さく、小さく、簡単に見落としてしまいそうなほどであった。しかし、緑の芽は、確かに黒い土から生まれていた。
 みかはこれを見てどう反応するだろうか?突然笑い出すだろうか?踊りだすだろうか?それとも泣き出す?頬をつねる?目をこする?まさか、失神なんてしないわよね?何十種類ものみかの反応を想像し、何ともいえぬ幸福感を感じていた。
 まったく、ゆかりは踊りだしそうであった。

7
 気がつくと、天井が見えた。碁盤目のような模様のついた白い天井。それをぼっと眺めているうちに、部屋が静かなことに気付いた。みかは、まだ公園から帰ってきてないのかな?上半身を起こして時計を見ると、もう8時だ。夏とはいえ、あたりはすでに暗い。
 そういえば、あたし、どうしたんだろう?芽を見つけたのは思いだせる。それからみかが来るまで絵を描こうと思って紙と色鉛筆を取りに行って…
『ミカハ…』
 脳の片隅で違和感を覚える。
『ミカハ…モウ…』
 誰かが部屋の扉を開いた。
「ゆかりちゃん、目、覚めたの?」
 その瞬間、すべてを思い出した。冷たい足音、不吉な予感、ドアをたたく無機質な音、血に濡れた少年に担がれた死体、その周りの友人たちの伏せられた目。そしてだらりとしたみかの手足、虚ろなみかの目、血と土に濡れたみかの身体。目の前が白くぼやける様子、力の抜ける感触。
『ミカハ…モウ…イナイ』
 すべてが鋭い痛みとともにゆかりを襲った。込み上げてくる吐気を抑えながら、倒れそうになる体を細い腕で支えた。そう、みかはもういない。敵軍の戦闘機の機関銃に打たれ、黒い闇に喰われたのだ。
「ゆかりちゃん?」
 肩をたたかれ目を上げると、隣のおばさんだった。空襲警報が鳴っていることに、彼女は気付き、ぼんやりとうなずいた。ふと、
「みかを殺したのと同じ飛行機かな?」
 ゆかりはうつろな目でつぶやいた。
「えっ?」
 サイレンの音で聞こえなかったのか、それとも単にごまかしただけなのか、おばさんは聞き直した。ゆかりは首を振り、それからやっとの思いで立ち上がると、ふらふらとした足取りで家の外へ出た。おばさんがその腕を持ち、引き摺るような、支えるような 奇妙な引っ張り方でゆかりを家の外へと誘う。 家を出たその刹那だった。
 閃光、そして爆音。
 ゆかりは一瞬麻痺した。再び彼女に視覚が戻った時、目の前に燃え盛る、傷ついた建物があった。それがたった5秒ほど前まで自分が住んでいた家であるのだと気づくまでに、しばらくかかった。
 「ゆかりちゃん…」
 今まで、何年間も自分を守ってくれていた家。父と母が生きていたころからあった家。みかとふたりで生活をした家。それが今、目の前で燃えている。音を立てながら崩れ、黒い炭へと変わっている。
 「ゆかりちゃん…」
 握られていた腕が、弱弱しくひかれる。ゆかりはそれを振り払った。炎は大きくなり、家はもう見えないほど。火の粉が天を焦がしている。
 その時、ゆかりは、急にあの芽のことを思い出した。燃えてしまってはいないだろうか。
「ゆかりちゃん!」
 彼女は庭を目指して走りだした。あの芽だけは、絶対に燃えさせない。唇をかみしめ、炎の中をくぐりゆく。
 目の前に倒れてきた家の柱を飛び越え、ゆかりはやっとの思いで庭にたどりついた。黒煙を吸いながら、彼女は地面に目を凝らす。目が涙で翳んでよく見えない。
「まだ、大丈夫よね」
 それはそこにあった。少ししおれてはいたが、昼間よりも少しだけ大きく力強くなって、そこにいた。芽が出るのが遅れたから、頑張って早く成長しようとしているのかしら。
 煙を吸いすぎたせいだろうか、彼女はふと体の力が抜けていくのを感じた。目の前が少しずつぼやけていく。不思議と息苦しさはない。このまま死ぬのかな。それでもいいかもしれない。この小さな芽さえ守れれば、それでいいのかもしれない。
 ゆかりは芽の上にかがみこんだ。霞んで行く目の端で、いつもよりかかっていた大木が倒れるのを見つめる。
 赤色の炎の中、目を閉じるとみかを抱いた父と、母が見えた。
 『あ、芽出てる!』
 ゆかりは微笑んだ。

8
 それから1週間ほどののち、15年間続いた三度目の大戦は終わった。全世界の人口のうち、半分は死亡したとまで言われるこの戦争は、何の利益も生まず、ただ多くの犠牲と悲しみを残しただけだった。
 ところで、あの家の焼け跡に最近花が咲いた。2輪の可愛らしい赤い花で、たがいに寄り添うようにして立っている。町の人々はそれを『姉妹花』と呼び、大切にしているらしい。

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