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荒野

 突然、目の前の道が消えた。闇の中に一人取り残された僕は、思わず、足を止める。
 暗い。
 それが、僕の思った最初のことだった。今までと明るさが変わったわけではないのに、何故か体は不安に震えた。
 恐い。
 目の前に広がっているのは、荒れ果てた大地と漆黒の闇。ここは、誰もいない死の世界。もっとも、これも今まで見てきた同じ風景のはずだ。足元から舗装された道が消えただけで、今まで飽きるほどに見てきた荒野のはずだ。それなのに何故今更恐れを感じるのだろうか。
 寂しい。
 もうこれからは自分ひとりなのだろうか。誰も、僕のために道を用意してくれることはないのだろうか。唐突にこみ上げる、不思議な感情。わけのわからぬ涙が頬を走る。それをわざと乱暴にぬぐった。
 いつかこんな時が来ることは前からわかっていたし、その時のために僕は十分備えて来たはずだった。それなのに今、広い世界に怖気づいて、何をすることも出来なくなっている。僕はまるで親とはぐれた迷子の子供。場所がデパートの玩具売り場から、それより少し広い荒地に変わっただけで、彼らと何の違いも無いのだろう。
 温かみの欠片もない向かい風が僕の凍えた体を叩く。ふと嫌な予感がし、振り向いた。案の定、背後の道はいつの間にか消えている。引き返すことは、もう出来ないのか。
 体が震えているのは風のせいだと呟いて、行き先も理由もわからぬまま、僕は歩き出した。裸足の踵に感じる粗く硬い地面が、たまらなく不快だった。

『僕は何処へ、何故歩いているのだろう?』
 暗い大地を踏みながら、そう呟いた。何でもいいから、足を傷つけ、身を削って歩く理由が欲しいと思った。
『僕は何処へ、何故歩いているのだろう?』
 歩く、それだけで楽しくてたまらない日々もあったことは事実だ。でも、それは遠く昔のこと。もう終わってしまった過去のこと。今は、それだけでは満足なんてできない。この苦しい歩みの理由と、目的が知りたい。
『僕は何処へ、何故歩いているのだろう?』
 だが、脳内を回り続ける問いに答えてくれる者は、誰もいなかった。僕を導いてくれる舗道はもうどこにも無いことを、改めて実感する。
 また溜息をつく。首を振り、気を紛らわすために足を進める速度を上げた。

 あれからどのくらい歩いたのだろうか。あとどのくらい歩けばいいのだろうか。道が消えてからまだ10分しか経っていない気もするし、もう何十年も歩いた気もする。僕にはわかるのは、ただ疲れているということだけ。
 霞み始めた目の前に、再び上り坂が現れた。溜息をつく。喉が痛い。足が重い。休息を求め、体中が悲鳴を上げている。でも‐いや、だからこそか‐決して止まってはいけない。一度休めば、二度と立つことはできなくなる。そう自らを鞭打ち、僕は傷つけられた裸足を引きずった。歩きやすい道は、すでに過去のもの。ここには、僕を助けてくれるものは何一つ無いのだ。

『僕は何処へ、何故歩いているのだろう?』
 先ほどから繰り返されている疑問。相変わらず、答えは見つからない。
『僕は何処へ、何故歩いているのだろう?』
 忘れようとするほど、それは棘だらけの蔦で僕の体を締め付ける。
『僕は何処へ、何故歩いているのだろう?』
『僕は何処へ、何故歩いているのだろう?』
 呪いのように繰り返される心の呟き。
『僕は何処へ、何故歩いているのだろう?』
『僕は…
 ふと、遥か彼方で何かが微かに輝いた。何だろうか、じっと眼を凝らす。鏡のような銀色の円。泉、そう一言かすれた声で呟き、思わず駆け出した。
 それが単なる蜃気楼だということは、無論わかっていた。今まで多く見てきた紛い物の池であることは、十二分に承知していた。でも、たとえそれが儚い幻想であっても、今はそれにすがりたい。こんなに暗い夜なのだから、小さな火の粉にでも希望を託したい。破れそうな己の心臓をさらに酷使して、千切れそうな足を振り上げて、僕は走った。
 無論、水など何処にも無く、ただ暗く硬い大地が広がっているだけだった。それでも、一時の夢を見られたことを僕は世界に感謝した。たとえ、その代償が更なる疲れと苦しみだったとしても。たとえその結果、世界がさらに暗く見えたとしても。
 突然揺らぎ始めた風景。体が熱い、頭が痛い。体から力が抜けてゆく。一瞬激しい閃光と、存在しないはずの衝撃波が僕を押す。鈍い音。少し遅れて、自分が倒れたことを知った。脱水かな?そう呟こうとするものの、渇ききった口からは荒い息しか漏れない。
 もう死ぬのだろうか?それでもいいと思った。こんなつまらない旅に、未練はなかった。
 体が空気中に溶けるような、心地よい感触が広がってゆく。ゆっくりと目を閉じた。
 冷たい風の音が轟く。そして訪れる、寂しい寂しい沈黙。




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