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 草原の中、少年が網を振り回しながら走っていた。彼が追うのは漆黒に輝く一匹の蝶。少年はその美しい姿を見たときからどうしても彼女を手に入れたいと強く願った。恋をしていた、少年がもう少し大人だったら、彼は自分の気持ちをそうたとえたかもしれない。
 彼女はすばやい。少年は短い腕を必死に伸ばし、それを捕らえようとするが、ひらりとそれをよけた蝶は楽しそうに笑い、以前に増して速く飛ぶ。彼も笑みを浮かべて、足を速める。体は疲れ、手足は千切れそうになっていた。激痛が少年を襲うが、しかし彼はあきらめようとは思いもしなかった。
 果てしない草原を彼らは走り続けた。いつの間にか、空は濃紺に染まっている。白い月の下、少年は二人の顔から笑みが消えていることに気づいた。それでも、彼らは舞い続ける。
 結局、負けたのはの蝶の方であった。少年は誇らしげに網に囚われた蝶を見つめた。白銀に照らされたその顔には、歪んだ笑みが浮かんでいる。だが、そこで少年は気づいた。壊れた翅は動かない。黒はいつの間にかみすぼらしい色へと化している。彼女は、もう息をしてはいなかった。彼は動けなかった。月が雲に隠れる。少年は悔いた。少年は嘆いた。少年は彼女の笑う姿を再び見たいと思った。細い瞳が揺れる。それでも、蝶は動かなかった。
 ふらつく足で、少年は歩き始める。どこへ行くのか、何を求めているのか、彼にはわからない。ただぼんやりとした頭で、彼は歩き続けた。彼を照らすものは何一つない。彼を導くものは何一つない。風の冷たさを感じながら、少年は彷徨った。その瞳には、何も映ってはいない。
 澄み切った水が流れる音を聞き、少年は現実へと引き戻された。暗闇の中、水は自ら光っている。ふと、少年はその川に彼女を浮かべようと思った。それが、彼にできるせめてもの罪償いだと感じた。破れた青白い死骸を清い流れに乗せる。
 蝶は流れる。優しい水の上を、ゆっくりと流れる。少年の涙が、川面をたたいた。
 突然、一筋の光が闇を裂いた。細い光の糸が、天と蝶とを結んでいる。少年は思わず目を上げた。潤んだ瞳が、ゆっくりと起き上がる蝶の姿を映した。いつの間にか、破れた翅は、元通り美しい漆黒へと戻っている。水面を揺らし、水を滴らせながら、蝶は飛び上がった。ひらりひらりとはじめは弱く、それから急に力強く。目指すのは月の向こうか彼女は、天へと舞い上がる。月光に輝くその姿は幻想的な美しさを持ち、日中のそれよりもはるかに美しかった。
 彼女が雲の向こうへと消える直前、彼は微笑を向けられた気がした。少年は涙をぬぐい、笑い返す。蝶は、見えなくなった。
 網を捨て、少年は月の照らす草原の向こうへと歩き出した。


(10/Jan/17)


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